「子どもに院長を譲りたい」「後継者がいないので第三者にクリニックを引き継いでもらいたい」「医療法人の社員と理事長を入れ替えたい」――院長の交代や承継は、どのクリニック・医療法人にもいつか訪れる課題です。この記事では、個人クリニックの承継(開設者の変更と保険医療機関指定の取り直し)、医療法人の出資持分・社員の入れ替え、持分なし医療法人への移行、第三者承継の契約と従業員・患者の引継ぎを、条文と厚生労働省の資料に沿って整理します。
個人クリニックの承継は「旧開設者の廃止届と新開設者の開設届(医療法9条・8条、各10日以内)」+「保険医療機関の指定の取り直し(健康保険法65条。一定の要件で廃止日に連続する遡及指定が認められる運用)」が骨格です。医療法人の承継は、社員の入退社と役員の改選(46条の5・46条の6)で支配権を移し、持分あり(経過措置)医療法人では出資持分の処理が最大の論点で、持分なしへの移行計画の認定は2029年(令和11年)12月31日まで受けられます。第三者承継では、カルテ・職員・患者の引継ぎと責任の切り分けを契約で定めることが要です。
クリニック・医療法人の承継の3類型と全体像
承継の骨格は「誰が開設者か」で決まります。個人開設なら承継は必ず開設者の変更=廃止と新規開設になり、医療法人が開設者なら法人は存続し、支配権(社員・理事)を移すことが承継です。
| 類型 | 法的な構造 | 主な手続 | 最大の論点 |
|---|---|---|---|
| 個人クリニック→親族・第三者の医師 | 旧開設者の廃止、新開設者の開設(事業譲渡又は相続) | 廃止届・開設届(医療法9条・8条)、保険医療機関の指定申請(健康保険法65条)、施設基準の再届出 | 保険診療の空白を避ける遡及指定、カルテ・職員・患者の引継ぎ |
| 医療法人(持分なし)の承継 | 社員の入退社と役員改選で支配権を移転 | 社員総会での入社承認・役員選任(46条の5)、理事長選出(46条の6・46条の7)、役員変更届 | 社員構成と理事会の設計、退任役員の処遇 |
| 医療法人(持分あり・経過措置)の承継 | 上記に加え、出資持分の譲渡・払戻し・放棄の処理 | 持分の評価と移転、持分なしへの移行計画の認定(2029年12月31日まで) | 払戻請求と相続税・贈与税 |
| 医療法人同士の合併・分割 | 合併契約・分割契約による権利義務の包括承継 | 医療法57条〜61条の手続、知事の認可 | 債権者保護手続、職員・契約の承継範囲 |
「個人クリニックの承継」と「医療法人の承継」は、手続も契約書も全く別物です。承継の相談は、まず現在の開設者が個人か法人か、法人なら持分の定めがあるかを確認するところから始まります。
個人クリニックの承継 ― 開設者の変更と保険医療機関指定の取り直し(医療法8条・9条、健康保険法65条)
個人開設の診療所を他の医師に引き継ぐ場合、前院長は廃止の日から10日以内に廃止届を出し(医療法9条1項)、後継の医師は開設後10日以内に開設届を出します(同法8条1項)。医療法施行規則4条は、診療所の譲渡や相続があったときは、譲受人・相続人は変更のない事項の届出を省略できると定めており、同じ場所・同じ構造設備で引き継ぐ承継では手続が簡略化されます。
一方、保険医療機関の指定は開設者ごとに行われるため(健康保険法65条1項)、開設者が変わると後継者は新たに指定申請をしなければなりません。原則どおりなら指定日は申請の翌月1日となり、保険請求ができない空白が生じます。これを避けるため、地方厚生局は「保険医療機関等の遡及指定及び機能移転の取扱いについて」(令和8年6月5日保医発0605第2号)に基づき、旧医療機関の廃止日の同日又は翌日付で新医療機関を指定する遡及指定を一定の類型で認めています。近畿厚生局の案内では、開設者の死亡等(類型1)、所在地変更を伴わない開設者のみの変更(類型2。個人から血族や勤務医への変更、個人からその個人を理事長とする法人への変更などを含む)は申請書を毎月10日までに提出し、それ以外の変更(類型3)は希望日の3か月前までに予定届出書を提出するとされています。
類型2で「基本的には認める要件」として挙げられているのは、1施設の廃止と1施設の開設を伴うこと、診療録の引継ぎと患者からの問い合わせへの対応、入院・外来・在宅患者の診療の継続、主な標榜診療科の継続、管理者の同一性、医師等の職員の一定割合以上の継続雇用などです。旧医療機関で受理済みの施設基準は要件を満たせば遡及指定日から引き続き算定でき、実績が必要な基準は旧医療機関の実績を引き継げる場合があります。
承継日は「厚生局の締切日から逆算」して決めます。遡及指定の事前相談を経ずに廃止・開設を先行させると、1か月近く保険請求ができない期間が生じるおそれがあります。
カルテ・個人情報・職員の引継ぎ ― 医師法24条・個人情報保護法27条・民法625条
- 診療録の保存と引継ぎ:病院・診療所に勤務する医師の診療録は管理者が5年間保存しなければならず(医師法24条2項)、保険診療の帳簿・書類は完結の日から3年、診療録は5年の保存義務があります(療養担当規則9条)。承継契約では、カルテの引渡し範囲、電子カルテのデータ移行費用、前院長が自身の診療記録を参照できる仕組みを定めます。
- 患者の個人情報:合併その他の事由による事業の承継に伴って個人データが提供される場合、提供を受ける者は第三者に該当しないとされており(個人情報保護法27条5項2号)、承継に伴うカルテの引継ぎに患者一人ひとりの同意は不要です。ただし承継前の利用目的の範囲内で取り扱う必要があり、承継の事実は院内掲示等で患者に知らせるのが適切です。
- 職員の雇用:個人クリニックの事業譲渡では、雇用契約は自動的には移転しません。使用者は労働者の承諾を得なければその権利を第三者に譲り渡すことができないため(民法625条1項)、職員一人ひとりの同意を得て新開設者との雇用契約を締結し直す(又は三者間で転籍の合意をする)必要があります。退職金・有給休暇・勤続年数の扱いを承継契約と労働条件通知書で明確にし、遡及指定の要件に職員の継続雇用が含まれる点も踏まえて早い段階で職員に説明します。
- リース・賃貸借・取引契約:名義変更や契約の承継には相手方の承諾が必要で、承継契約の前提条件に組み込みます。
医療法人の承継 ― 社員の入れ替えと理事長交代(医療法46条の5・46条の6)
医療法人の承継では、法人そのものは存続し、「誰が社員か」「誰が理事長・理事か」を入れ替えます。社団たる医療法人の社員は各1個の議決権を持ち(医療法46条の3の3第1項)、社員総会で役員を選任します(46条の5第2項)。つまり、社員の多数を後継者側が占めなければ、理事長を交代させても支配権は移りません。運営管理指導要綱は、入社は社員総会の承認を経ること、退社は定款上の手続を経ること、社員名簿を整備すること、名目的な社員を置かないことを求めています。
理事長は、医師又は歯科医師である理事のうちから理事会が選出します(46条の6第1項、46条の7第2項3号)。後継者が医師でない場合は都道府県知事の認可が必要で、指導要綱が例示する場合に限られます。役員の任期は2年を超えられないため(46条の5第9項)、承継計画は役員改選の時期に合わせて設計するのが自然です。理事長・理事の変更は都道府県知事への役員変更の届出と理事長の変更登記を要し、承継に伴って名称や主たる事務所を変えるなら定款変更の認可(54条の9)も必要です。前理事長が社員として残る場合は、議決権の行使と退職金の決議方法をあらかじめ合意しておきます。
出資持分の扱いと持分なし医療法人への移行(認定医療法人制度)
2007年4月施行の改正医療法より前に設立された持分の定めのある社団医療法人は「経過措置医療法人」として存続しており(平成18年改正法附則10条の2)、出資者は定款の定めにより出資額に応じた払戻しや残余財産の分配を受ける権利(持分)を持ちます。承継では、この持分をどう扱うかが最大の論点です。前理事長が退社して払戻しを請求すれば純資産に応じた多額の資金が必要になり、後継者への譲渡・贈与や相続では贈与税・相続税の問題が生じます。
この問題への制度的な解決策が、持分なし医療法人への移行計画の認定制度です。経過措置医療法人は、移行計画を作成して厚生労働大臣の認定を受けることができ(附則10条の3第1項)、認定の要件は、移行計画が社員総会で議決されたこと、移行のために有効かつ適切であること、移行期限が認定日から5年を超えないこと、社員・理事・監事・使用人等の関係者に特別の利益を与えないことその他厚生労働省令で定める要件(医療法施行規則附則57条の2)に適合することです(同条4項)。認定は2029年(令和11年)12月31日までの間に限り行うことができます(同条5項)。国税庁の案内によれば、認定医療法人の出資者が持分を放棄したことにより他の出資者に贈与税が課される場合、その税額は移行期限まで納税が猶予され、期限までに持分の全部が放棄されれば免除されます。認定を受けていれば、出資者の放棄によって法人が受ける経済的利益にも贈与税は課されない扱いとされています(厚生労働省「持分なし医療法人への移行に関する手引書」)。
| 選択肢 | 内容 | 留意点 |
|---|---|---|
| 持分を後継者に譲渡・贈与 | 出資持分を後継者(親族・第三者)に移す | 評価額に応じた贈与税・所得税。社員資格の要件を満たさなければ社員にはなれない |
| 持分の払戻し | 退社する出資者に出資額に応じた払戻し | 法人の資金流出。評価方法を定款と評価資料で裏付ける |
| 持分なし医療法人への移行(認定) | 移行計画の認定を受け、出資者全員が持分を放棄 | 認定は2029年12月31日まで、移行期限は認定から5年以内。運営要件(関係者への特別の利益の禁止等)を移行後も維持 |
第三者承継・M&Aの契約で定めること ― 事業譲渡・合併・分割
第三者承継では、個人クリニックなら事業譲渡契約、医療法人なら社員の入退社・役員交代と持分の移転を内容とする承継契約を締結します。医療法人同士であれば、合併契約による吸収合併・新設合併(医療法57条〜59条)や、吸収分割契約・新設分割計画による分割(60条・61条)も選択肢で、いずれも都道府県知事の認可を要する手続です。契約で定めるべき主な条項は次のとおりです。
- 譲渡対象の特定:医療機器・備品、賃貸借契約上の地位、カルテ、電話番号、職員の雇用(同意を条件)。
- 対価と精算:承継日前の診療に係る未収金(診療報酬請求権)と未払金の帰属、リース残債の処理、承継日をまたぐ診療報酬の精算方法。
- 表明保証:指導・監査の履歴、診療報酬の返還リスク、未払残業代、医療事故に関する紛争の有無、個人情報の漏えいの有無。健康保険法65条3項は重ねて指導を受けた医療機関等を指定拒否事由としており、前任者の履歴は後継者の指定に影響します。
- 責任の切り分け:承継日前の診療に起因する医療事故・返還請求は前開設者が負担することと、その担保(一定期間の保険の維持や預り金)。
- 引継ぎ義務と競業避止:前院長による一定期間の診療協力・患者紹介、近隣での再開業や職員・患者の引抜きを制限する条項(期間・地域を限定し合理的な範囲にとどめる)。
- 前提条件:保険医療機関の遡及指定の見込み、主要契約の承諾、職員の一定割合の同意。
医療法人が事業の譲受け・譲渡を行う場合、理事長の親族が経営する法人等が相手方であれば、資産・負債の総額が1,000万円以上かつ総資産の1%以上のものは「関係事業者との取引の状況に関する報告書」の対象になります(医療法施行規則32条の6第1項2号ヘ)。承継の全体像は「クリニックの開業・承継で確認すべき法的チェックポイント」もあわせてご覧ください。
よくある質問(FAQ)
個人クリニックを子どもに譲る場合、どのような届出が必要ですか?
承継すると保険診療ができない期間が生じますか?
承継にあたって患者のカルテを引き継ぐのに患者の同意は必要ですか?
職員の雇用はそのまま新しい院長に引き継がれますか?
医療法人の理事長を交代するだけで承継は完了しますか?
持分あり医療法人の承継で、持分なしへの移行はいつまでに認定を受ける必要がありますか?
第三者承継の契約で特に注意すべき条項は何ですか?
まとめ
- 個人クリニックの承継は開設者の変更であり、廃止届・開設届(医療法9条・8条、各10日以内)と保険医療機関の指定の取り直し(健康保険法65条)が必要。遡及指定の類型と要件に合わせて承継日を設計する。
- カルテの引継ぎは事業承継に伴う提供として患者の個別同意は不要(個人情報保護法27条5項2号)だが、職員の雇用は個別の同意がなければ移転しない(民法625条1項)。
- 医療法人の承継は、社員の入退社と役員改選・理事長選出(46条の5・46条の6・46条の7)で支配権を移す。理事長交代だけでは完了しない。
- 持分あり(経過措置)医療法人では持分の譲渡・払戻し・放棄が最大の論点。持分なしへの移行計画の認定は2029年12月31日まで、移行期限は認定から5年以内で、贈与税の納税猶予・免除の特例がある。
- 第三者承継の契約では、対象の特定、未収金・未払金の精算、表明保証、責任の切り分け、引継ぎ義務と競業避止、前提条件を定める。
当事務所は、医師免許と弁護士資格を併せ持つ弁護士を含む企業法務の弁護士チームとして、承継スキームの選択、承継契約・社員総会議事録の作成、厚生局・都道府県の手続との時間軸の調整、持分の処理を一体で支援しています。承継を見据えた継続的なご相談は顧問弁護士サービスをご覧いただき、承継やM&Aの個別のご相談はお問い合わせ(無料相談)からご連絡ください。チャット・オンラインで全国に対応しています。
- 医療法(e-Gov法令検索)― 7条・8条・9条・44条・46条の3の3・46条の5・46条の6・46条の7・54条の9・57条〜61条、平成18年改正法附則10条の2・10条の3
- 医療法施行規則(e-Gov法令検索)― 4条・32条の6・附則57条の2
- 健康保険法(e-Gov法令検索)― 65条・68条
- 個人情報の保護に関する法律(e-Gov法令検索)― 27条5項2号
- 民法(e-Gov法令検索)― 625条
- 医師法(e-Gov法令検索)― 24条
- 保険医療機関等の遡及指定及び機能移転の取扱いについて(近畿厚生局)
- 持分の定めのない医療法人への移行計画の認定申請について(厚生労働省)
- 「持分なし医療法人」への移行に関する手引書(令和8年3月改訂)(厚生労働省)
- No.4440 医療法人の持分に係る経済的利益についての贈与税の納税猶予の特例(国税庁)
- 医療法人運営管理指導要綱(厚生労働省)
※ 本記事は一般的な情報提供を目的とするものであり、個別の事案に対する法的助言・医学的助言ではありません。法令・制度・通知の内容は公開日時点のものです。具体的なご対応にあたっては、最新の法令・通知をご確認のうえ、弁護士にご相談ください。
